戦争放棄で始める持続可能な未来
[開設] July 25, 2022 [更新] May 11, 2026
SDGsに潜む違和感
国連が2015年に採択した「持続可能な開発目標 (Sustainable Development Goals: SDGs)」。この地球を未来永劫に持続させ、人々が幸せに暮らせる環境をみんなで実現しようという呼びかけだ。素晴らしい発想とは思うが、重大なことが見落とされている。
この宣言文書の前文には、このように書かれている:
“As we embark on this collective journey, we pledge that no one will be left behind.“
「ともに持続可能な世界へ向かうこの旅をはじめるにあたり、だれひとり取り残さないことを誓います」(日本 ユニセフ SDGs CLUB 訳)
この短い文章に、強い違和感を感じる。このように美しい言葉を掲げながら、世界平和に必要不可欠な条件であろう「戦争の放棄」が宣言本文のどこにも明記されていないのはなぜか?
持続可能な世界への旅に私達は参加できるとしても、この瞬間にも戦争や紛争のために命を落としている大勢の子供、一般市民、そして兵士がいる。彼らの後ろにはさらに大勢の、絶望と悲しみに打ちひしがれた家族がいる。戦争によって、その家族さえも失った子供たちがいる。
彼らは、まさに持続可能なはずの世界への旅から「取り残されし者」だ。私達は彼らの存在を決して忘れてはならない。
戦争放棄はSDGsの前提条件
SDGs文書には「貧困をなくそう (SDG1)」に始まって「飢餓をゼロに (SDG2)」「すべての人に健康と福祉を (SDG3)」など、全部で17の「持続可能な開発目標」が掲げられている。
平和に関する目標は、呼びかけの最後から二つ目に「平和と公正をすべての人に (SDG16)」として、柔らかい間接的な表現で掲げられている。しかし、戦争および大量破壊兵器の根本的な否定は、どこにも明文化されていない。
これでは、地球を守るための17の努力目標も、戦争により一瞬で崩れ去る。果たして、国連は戦争の放棄を棚上げにしてSDGsを2030年までに達成しようと考えたのであろうか。
周知のごとく、戦争は人類最大の殺戮行為であり、森林破壊や水源汚染、土壌汚染などによって地球環境を傷つけ、教育や医療に要する資金を奪い、子供たちから未来への希望を容赦なく奪い去る。
戦争を許容している限り、「持続性」という言葉には根拠がないのは明白だ。本当に持続可能な未来を目指すのであれば、その第一歩は「戦争の放棄」以外にはないと断言できる。
この違和感を解消し、SDGs宣言全体に熱い血が流れるものとするために、「戦争の放棄」を宣言全体の前提条件(= SDG0) と定義し、これを宣言に導入することを提言する。
具体的には、「国権の発動たる戦争、および核兵器等の大量破壊兵器は、永久にこれを放棄する」という、極めて明快な目標だ。
そのために “sdg0now” (sdg-zero-now) という呼びかけも併せて提案する。これは「戦争を放棄して、今すぐにでも恒久平和を達成しようと常に意識して行動しよう」という呼びかけだ。
人間は何も好き好んで戦争という残虐行為に訴える必然性はない。それがどのような結果を引き起こすか想像してみることだ。
昨日までそこにあったはずの我が家の跡にひとり立ち尽くす少女。瓦礫の山を前にしたその眼差しは、悲しみより先に「なぜ?」「どうして?」と問いかけている。幼い子供に理解できるはずがない、毎日テレビのニュースで目にする大人達がこのような破壊をもたらすとは。
戦争という概念のない未来
どうして戦争をするのか。戦争せずに対立を解決するという知恵は、私達にはないのか。もし、自分の子供や孫に「なぜ大人は戦争して人を殺すの?」と問われたら、私達はどう答えるか。
「戦争」という言葉に注目し、「戦争」のない未来社会を想像してみる。その第一歩は、「戦争」に対する私達の概念を根本から見直すことであり、それこそが”sdg0now” の呼びかけの根幹だ。
SDGsの17の目標を一枚の紙に書き出してみると、SDGs宣言の全体像が分かる。さらに、最後の「パートナーシップで目標を達成しよう (SDG17)」からは、実にワクワクするような可能性を感じとることができる。
武力を保有するすべての国の指導者が戦争の全面即時放棄を決意し、ビッグブラザー (頼もしい兄貴分) 的パートナーシップ を結んで力を合わせれば、真に持続可能な未来への道がより早期に見えてくるはずだ。
戦争を放棄すれば、さらなる武力維持開発資金は不要となり、この莫大な余剰費を過去のおびただしい戦争破壊による瓦礫からの復旧や支援に当てれば、SDGsの達成も初めて現実性を帯びてくる。
そうなれば、世界中の子供たちが目を輝かせ、飛び跳ねて喜ぶのは間違いない。彼らに希望がもたらされたからだ。未来の光が見えてきたからだ。
戦争の放棄と核兵器の廃絶という勇断を下し、この歴史的なビッグブラザー・パートナーシップ条約調印式に臨むために、世界中の子供たちの代表に先導され、テレビカメラに囲まれて誇らしげにレッドカーペットを進む全世界のリーダーたち。地球上の80億人もの人々の「決断が遅すぎる!」という大ブーイングは一転して称賛の嵐となり、その名前は永遠に人類の歴史に刻まれることだろう。
願わくば、持続可能なはずの世界への旅から「取り残されし犠牲者たち」も、自分たちの死が決して無駄ではなかったと、私達のこれまでの数々の過ちを許してくれるだろう。
反省と絆
戦争放棄をめぐる議論の歴史は長い。多くの法律家、政治家、宗教家、有識者たちが論戦を繰り広げてきた。
残念ながら、彼らの論争はいつ実を結ぶのか全く予測さえつかないのが実情だ。その間にも毎日のように大勢の犠牲者が生まれている。
これが「文明社会」の宿命なのか。決してそうではない。私達が戦争を選択肢として容認していることこそが原因だ。
戦争の放棄は、世界中の良識ある人々の願望であることは間違いない。それが実現できれば、明日にもこの星は平和に満ち溢れるであろう。
それなのに、これとは反対の道に人々を導こうとする為政者、指導者、政治家が日本その他多くの国に存在するのはなぜか。これが、筆者をしてこのブログ執筆に駆り立てた背景となっている。
19世紀後半に始まった日本による海外侵略は20世紀中期の太平洋戦争につながり、それから一世紀近くが経過した。その中で私達は何かを学び、十分に反省したのか。その答えは「ノー」だ。
東アジアに限って言えば、いまだに先の世界大戦の暗い影と恨み、憎しみの感情を引きずった報道に毎日のように接するのは、戦後処理が決して完了してはいないことを明確に示している。
国家間の政治的、金銭的な謝罪だけで事は済んだことにはならない。誠心誠意の全面的な謝罪が、相手国の人々一人ひとりの心に届いていないのは明白だ。
加害国も被害国も等しく、互いに正しい歴史認識から再出発し、充分な反省と誠意ある謝罪を経て一大決心して仕切り直しをすることが、真の再出発への第一歩となる。
後世の幸福のため、そして自分たちの人生を全うするためにも、先の世界大戦から80年経過後もいまだに私達を悩ませている戦後処理問題の、根本的な解消が求められている。
そもそも、日本はアジアや西洋諸国と歴史的に密接な関係を享受してきた。近代民主主義といった政治制度や西洋音楽は欧米から学んだ。
中国や朝鮮半島からは実に様々な文化的影響を受けている。その代表的なのが、6世紀に日本に伝わった仏教である。
日本で日常的に使っている漢字は約3300年前の古代中国で成立し、日本固有の平仮名とカタカナは漢字から派生したものである。
陶磁器のように、日常生活に欠かせない道具の新しい製法も、朝鮮半島から日本に伝来している。
これらはいずれも日本の文化発展に大きな影響をもたらしたものだ。このように近隣諸国と親密な交流を享受してきた日本は、その絆を尊重し、さらに発展させていかなければならない。
===> 第2章「SDG0-2 人類史をつなぐ若者たち」へ進んでください

世界中の子供たちに明るい未来を!
Bright future for the children worldwide !
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