[開設] July 25, 2022 [更新] Aug. 14, 2026
国連は2015年に「持続可能な開発目標 (Sustainable Development Goals)」を発表した。これは地球をいつまでも持続させ、世界中の人々が幸せに暮らせる環境をみんなで実現しようという呼びかけだ。そして今、世界中の国々の政府、企業、自治体、団体などがこぞって、それぞれの目標達成に向けて独自の取り組みを進めている。
しかし、筆者はこの宣言自体に大きな疑問を感じる。果たして、私たちはこの壮大な宣言を素直に歓迎していいのだろうか。
この宣言文書の前文には、このように書かれている:
“As we embark on this collective journey, we pledge that no one will be left behind.“
「ともに持続可能な世界へ向かうこの旅をはじめるにあたり、だれひとり取り残さないことを誓います」(日本 ユニセフ SDGs CLUB 訳)
この短い文章に、強い違和感を覚えざるを得ない。このように美しい言葉を掲げながら、世界平和に必要不可欠な条件であろう「戦争の放棄」が宣言本文のどこにも明記されていないのはなぜか?
持続可能な世界への旅に私達は参加できるとしても、この瞬間にも戦争や紛争のために命を落としている大勢の子供、一般市民、そして兵士がいる。
彼らの後ろにはさらに大勢の、絶望と悲しみに打ちひしがれた家族がいる。戦争によって、その家族さえも失った子供たちがいる。
彼らは、まさに持続可能なはずの世界への旅から「取り残されし者」だ。私達は彼らの存在を決して忘れてはならない。なぜなら、後章「SDG0-3 | 生きて生かせる」で詳述するように 、彼らの死や悲しみには私達にも責任があるからだ。
戦争放棄はSDGsの前提条件
SDGs文書には「貧困をなくそう (SDG1)」に始まって「飢餓をゼロに (SDG2)」「すべての人に健康と福祉を (SDG3)」など、全部で17の「持続可能な開発目標」が掲げられている。
平和に関する目標は、呼びかけの最後から二つ目に「平和と公正をすべての人に (SDG16)」として、柔らかい間接的な表現で掲げられている。しかし、戦争および大量破壊兵器の根本的な否定は、どこにも明文化されていない。
これでは、地球を守るための17の努力目標も、戦争により一瞬で崩れ去る。果たして、国連は戦争の放棄を棚上げにしてSDGsを2030年までに達成しようと考えたのであろうか。
国連を構成する各国の間には様々な利害衝突があることは周知の事実であるが、自国の利益を優先して、そのために多くの死者を出していいのだろうか。国家間の利害衝突という事実こそ、私たちが最初に挑戦すべき課題ではないか。
戦争は人類最大の殺戮行為であり、森林破壊や水源汚染、土壌汚染などによって地球環境を傷つけ、教育や医療に要する資金を奪い、子供たちから未来への希望を容赦なく奪い去る。
戦争を許容している限り、「持続性」という言葉には根拠がないのは明白だ。本当に持続可能な未来を目指すのであれば、その第一歩は「戦争の放棄」以外にはないと断言できる。
この違和感を解消し、SDGs宣言全体に熱い血が流れるものとするために、「戦争の放棄」を宣言全体の前提条件 (= SDG0) と定義し、これを宣言に導入することを提言する。
具体的には、「国権の発動たる戦争、および核兵器等の大量破壊兵器は、永久にこれを放棄する」という、極めて明快な目標だ。
そのために “sdg0now” (sdg-zero-now) という呼びかけも併せて提案する。これは「今すぐにでも戦争を放棄して、恒久平和を達成しようと常に意識して行動しよう」という呼びかけだ。
人間は何も好き好んで戦争という残虐行為に向かう必然性はない。それがどのような結果を引き起こすか、それが何を意味するかを想像してみることだ。
昨日までそこにあったはずの我が家の跡にひとり立ち尽くす少女。瓦礫の山を前にしたその眼差しは、悲しみより先に「なぜ?」「どうして?」と問いかけている。
幼い子供に理解できるはずがない、テレビのニュースでよく目にする「大人達」がこのような破壊をもたらしているとは。
戦争という概念のない未来
どうして戦争をするのか。戦争せずに対立を解決するという知恵は、私達にはないのか。もし、自分の子供や孫に「なぜ大人は戦争して人を殺すの?」と問われたら、私達はどう答えるか。
「戦争」という言葉に注目し、「戦争」のない未来社会を想像してみる。その第一歩は、「戦争」に対する私達の概念を根本から見直すことだ。それこそが ”sdg0now” の呼びかけの根幹だ。
SDG0 (= 戦争の放棄) という大前提を達成できれば、あとの17の目標は次々と実現に近づく。各国の指導者たちがこの大前提の意義と効果を認識し、自分たちに何が求められているかを考え始めるからだ。
戦争さえなくなれば、戦争を放棄した各国にも世界に対する新しい感覚が生まれ、これまでの軍事力による覇権争いに代わって平和構築という崇高な目的に向かって、世界をリードしようという意識が芽生えるはずだ。
SDGsの17の目標を一枚の紙に書き出してみると、SDGs宣言の全体像が分かる。さらに、最後の「パートナーシップで目標を達成しよう (SDG17)」からは、実にワクワクするような希望の光を、かすかながら感じとることができる。
武力を保有するすべての国の指導者が戦争の全面即時放棄を決意し、戦争のない世界のためのグローバル・パートナーシップ を結んで力を合わせれば、真に持続可能な未来への道が見えてくる。
戦争を放棄すれば、さらなる武力維持開発資金は不要となり、その結果として莫大な余剰金が生まれる。
これを過去のおびただしい戦争破壊による瓦礫からの復旧や支援に当てれば、SDGsの達成も初めて現実味を帯びてくる。
そうなれば、世界中の子供たちが目を輝かせ、飛び跳ねて喜ぶのは間違いない。彼らにようやく希望がもたらされたからだ。未来の光が見えてきたからだ。
戦争の放棄と核兵器の廃絶という勇断を下し、この歴史的な SDG0グローバル・パートナーシップ条約調印式に臨むために、世界中の子供たちの代表に先導され、テレビカメラに囲まれて誇らしげにレッドカーペットを進む全世界のリーダーたち。
地球上の80億人もの人々の「決断が遅すぎる!」という大ブーイングは、一転して称賛の嵐となり、その名前は永遠に人類の歴史に刻まれることだろう。
戦争放棄をめぐる議論の歴史は長い。多くの政治家、法律家、宗教家、有識者たちが論戦を繰り広げてきた。
残念ながら、彼らの論争はいつ実を結ぶのか全く予測さえつかないのが実情だ。その間にも、毎日のように大勢の犠牲者が生まれている。
これが「文明社会」の宿命なのか。戦争は決して文明の不可分の要素ではない。私達が戦争を選択肢として容認していることこそが原因だ。
戦争の放棄は、世界中の良識ある人々の願望であることは間違いない。それが実現できれば、明日にもこの星は平和に満ち溢れるであろう。
それなのに、これとは反対の道に人々を導こうとする為政者、指導者、政治家が日本その他多くの国に存在するのはなぜか。
これが、筆者をしてこのブログ執筆に駆り立てた背景となっている。
続きは ⇒ SDG0-2 | 人類史をつなぐ若者たち
”みんな仲良し!”

世界中の子供たちに明るい未来を!
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