[開設] July 25, 2022 [更新] May 11, 2026
このような考え方に対して、「君は歴史を知らない」「政治を知らない」「学校で何を学んだのか」「何を馬鹿なことを考えている」「世の中とはそういうものなんだよ」などの反論を耳にすることがある。
人を苦しめる政治など知りたくもない、知る価値など微塵もない。カビだらけのパンくずは、焼却するしかない。放置しておくとカビが増殖し、世界を窒息させるばかりだ。
そんな政治によって形成された歴史より注目すべきは、戦争が行われているという確かな現実だ。そのために多くの人命が失われているという現実、現在の国際社会の悲しい実情、現在の若者たちがおかれた厳しい環境だ。
瓦礫の前に立ち尽くす少女、栄養不良で力なく横たわる乳児、冷たくなった母親の横で泣き叫ぶ幼児、戦場に放置された兵士の遺体、大勢の戦争孤児たち。この現実は、今すぐにも終わらせなければならない。
重要なのは、戦争という愚行によって、私達の歴史はカビだらけのパンくずで完全に汚染されてしまったという現実に気づくことだ。私達が知らず知らずにそのカビだらけのパンを毎日おいしそうに食していることに気づくことだ。
80億人との暗黙の合意
そもそも、46億年前に誕生したとされるこの地球は、誰のものでもない。世界の人口80億人の全員が誰でも、本来は地球上のどこにでも自由に生きる権利を生まれながらに持っている。
それは個人一人ひとりの権利であると同時に、自分とすべての他人一人ひとりとの間の暗黙の相互合意事項でもある。
自分が生きる権利を有すると同時に、他の80億人すべても生きる権利を有すること、そして互いの存在自体を互いに認め合うことを意味する。まさに「生きて生かせる」(“Live and Let Live”) という約束だ。
文明が発達する過程で、私達は様々な概念とそれに対応した「取説」を取り入れてきた。国籍や領土、国境などの概念とそれらに特化した法律や制度だ。
誰のものでもない地球に誕生した人類は、今日では多様な法律や制度によって国という共同体の保護を享受すると同時に、制約をも受けるという不自由な反面もある。
しかし、誰もが持っている「生きる権利」自体は、普遍の権利といえる。国の指導者といえども、この権利を国民から奪うことはできない。
この「生きる権利」は、小学生でさえも理解できる原始的権利だ。学者や政治家が異論を唱えることはできない。
彼らが登場するのは、戦争放棄の概念が周知徹底し、「生きて生かせる」という名の新しい歴史の初日の幕が開いた後だ。
そこで彼らが演じるのは、どうすれば新しいパンくず (戦争を放棄した国際社会における人々の意識、概念、法律、制度) と、従来からある旧態依然のカビだらけのパンくず (既成概念) とを整合共存させ、地球という舞台の上で人間が平和に暮らすことができるか、その方法を模索することだ。
残念ながら、人類が誕生して以来、紀元21世紀となった今も、私達はその答えを見つけてはいない。カビだらけのパンくずを十分に遠くまで蹴散らすことにはことごとく失敗し、新しいパンを手にすることもできず、いまだに残存するカビだらけのパンくずとうまく共存することさえできない状態だ。
新旧の概念が整合共存する状態とは、「負のフィードバック (negative feedback)」あるいは「アンラーニング (unlearning)」による意識改革ととらえることができる。
それは、あることについて得た新しい情報で、それまでの古い情報 (知識) を置き換える作業といえる。これまで学んだことを積極的に捨て去ろうということだ。その一例が、天動説と地動説の関係における意識改革だ。
つまり、求めるべきは「既成概念を後ろから左右に確実に蹴散らしながら前進する、静かで持続可能な、極めて日常的な意識改革が展開する世界」と予測できる。
真の幸せ
21世紀を生きる私達のこの悲しい現状は、科学技術、政治、法律、教育、宗教、芸術、人間の知恵の限界を露呈しているといえる。そうでなければ、健全な政治が行われ、戦争などとっくに地上から無くなっているはずだ。
日本は「戦争のない平和な国」と言われてきた。本当にそうであろうか。まだ終わっていないと思える戦後処理の問題、他の国や地域での戦争や紛争、飢餓、貧困、日本人拉致問題など、多くの悲しい現実から目を背けたままでいいのだろうか。
他の国で秩序が破壊されているのに、自分たちだけが「自称平和国家」でいられるのだろうか。「他人事」で済ませていいのだろうか。
それは80億人との約束事に反することを意味する。他者の自由に生きる権利を見捨てるのは、いつか自分の生きる権利も同じ道をたどる可能性を強く示唆している。
あの瓦礫の前に呆然とたたずむ少女の絶望感、栄養不良で力なく横たわる乳児、冷たくなった母親の横で泣き叫ぶ幼児、戦場に放置された兵士の遺体、大勢の戦争孤児たちの姿には、私達にも責任がある。
その元凶は「よその国のことだろう」「自分には関係ないよ」「世の中とはそういうものなんだよ」という寂しい考え、諦めの境地、無関心だ。見て見ぬふりをしてきたからだ。そのような風潮を私達が作り出し、容認してきたからだ。
このような歪んだ世の中を、あるがままに肯定してはならない。「しようがない」と諦めてはならない。そのような消極論は、戦争を日常の一部ととらえるのと同じだ。
カビだらけのパンくずを何も考えずに、いつまでもおいしそうに口にし、子供たちにも与えるのと同じだ。
これが真の幸せなのだろうか。それでは何世紀経っても本当の意味での平和な世界には一歩も近づくことはできない。自由に生きるという自分の権利を自ら放棄するのと同じだ。
ホモ・サピエンスの嘆き
先の世界大戦から一世紀近くが経過した。人間はその間に少しでも賢くなったであろうか。確かに科学技術の面では進化したといえる。しかし、平和という観点からすると、人間は少しも賢くなってはいない。「戦争という選択肢」を廃棄することなく、世の中が進んでいないだろうか。
30万年前に現れたとされるホモ・サピエンス (賢い人) でさえ、現在の地球上の無謀な争いを目にすれば、「なんだこれは!?」と驚くだろう。
「私達の子孫はこんな程度の知恵しか手にすることができなかったのか!」と、その愚かさと分別のなさの極みに驚き、人類の行く末を悲観することだろう。
そして、自分たちに言葉と文字があったら「もっと賢く、みんな仲良く」と書き残しただろうにと嘆き悲しむに違いない。
武力競争の犠牲になるのは、次世代を担う子供たち、若者たちだ。彼らの未来へ向けた自由な選択肢を制限することに他ならない。それは彼らの未来を奪うのと同じだ。
日本について言えば、未来志向に乏しい政治家たちが描く社会では、国民は希望を持つことが困難になる。このことが大人達の間に一種の「将来に対するあきらめの気持ち」を生じさせ、そのムードは家庭内の会話を介して子供たちにも伝播する。
その結果、自由をも制限された社会は若者たちの失望感、閉塞感、無気力につながる。さらには引きこもり、不登校、いじめ、暴力、自殺、殺人などの遠因となる。
そのような事態になったことの背景を解明し、どうすれば自分たちの住む社会や世界を少しでも良くできるか、若者たちにとってより希望に満ちた、明るい人生を期待させる世の中にできるかに考えを巡らせなければならない。
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